結核―ハンセン氏病―ガン治療へ

結核はほおっておくと、全身のどこにでも侵襲して最後に患者は死ぬ。けれどもライ菌は、皮膚とか、眼球、気管粘膜、睾丸、身体の表面に近い末梢神経といった、いわゆる低温組織にだけで、体内深くにある高温の臓器の中では増殖できない。だからほおっておいても生命に別状はない。ライにかかる人は細胞性免疫が先天的に弱い。そのため、ライで死ななくとも、結核、敗血症などの感染症で死ぬケースが多い。ライ患者の施設、多摩全生園内に国立らい研究所が設立されたのは昭和30年のことだった。福士勝成は初期の研究部長を勤めた病理学者。


福士が研究所に来た時の予想は裏切られた。ライで亡くなる人がほとんどいなかったからである。死亡原因の約4分の1がガンで、それも転移の多いのが特徴だった。老人養護施設の剖検例と比較対照してみると多摩全生園のほうがはるかにガン死の率が高い。


その多摩全生園には毎週、丸山千里が通ってきていた。あるときよもやま話のなかで、福士が解剖ではガン腫ばかりを見ていると話した。「ライ患者は先天的に細胞性免疫が弱いんです。だから、ライにかかりやすいし、同時にがんにもなりやすいのです」 丸山はちょっと首をかしげて「ぼくがここに来はじめてかれこれ10年になりますが、昔はライ患者がガンで亡くなったなんて聞いたことがなかったですよ」「そのガン死が多いという話、もっと詳しく伺えませんか?」なぜ昔はガンで死ぬ者が少なかったのだろうか、(特効薬がなかったことで)ガンにかからないうちに、みんな若くして亡くなったのだろうか?「たしかに昔は、一般的に早死にしています。なるほど、昔はガン死が極めて希れですね」福士はそれがどうかしましたかという顔である。



結核ワクチンとしての丸山ワクチンがようやく副作用のない薬として完成したと思ったら、結核の特効薬としてストレプトマイシン、パス、ビドラジッドなどが出回っていた。おなじ抗酸菌のライ菌にも丸山ワクチンの効果がありそうだと分かった時点でも、プロミンという特効薬が登場してきた。普通の学者であれば、いいかげんそこであきらめているはずだろう。丸山はしかし、このワクチンの研究を手放さなかった。それは結核ハンセン氏病の治療薬が効果を示さない症例、たとえば皮膚の病変に対して効果があったせいでもある。もし、結核の治療薬が登場しなかったならば丸山ワクチン結核だけの治療薬として今も使われていただろう。ハンセン氏病の治療薬が存在しなければ丸山ワクチンはガンに使われることもなかったであろう。ただそんな思いがしただけ。