症例10ー14歳の男子中学生

初診 昭和52年5月31日。診断 脳腫瘍

患者は頭痛と吐き気を訴え、とくに眼底が痛むと言うので、眼科の医師の診察をうけたが診断がつかず、京都大学脳神経外科に入院、診察を受けることになった。52年4月に開頭手術が行われ、脳幹部の悪性腫瘍であることが判明ね放射線治療を行うことになり、一応退院、外来で通院治療をうけた。治療は最初、コバルト照射だけであったが、好転しない為抗がん剤をくわえての併用治療になった。しかし、やはり悪化の傾向にあったので、家族より丸山ワクチンをそのなかに加えてほしいと懇願して承認された。当時患者は歩行も困難になり、ときどき人事不省に陥ることもあり、一家をあげて希望のない暗黒の生活を余儀なくされていた。

ところが、まもなくコバルトの線量が限界に達して休止となり、抗がん剤丸山ワクチンの併用だけとなった。しかし、抗がん剤の副作用の為か、病状が重篤の状態になったので、52年12月より主治医の判断で抗がん剤を中止、ワクチンの単独療法に変更、主治医の了解のもと、自宅付近の医師によりワクチンまの注射を受けることが出来るようになった。

単独療法に移ってから病状は目にみえて改善され、しだいに略治の状態になった。病状はまったく絶望状態で打つ手が無いと告げられていただけに思いがけない症状の好転に、家族一同蘇生の思いて゛あったという。その後、体力をととのえ54年4月より高校に進学 4年後に無事に卒業した。



新聞にガンに関する記事が載っていると詳しく読んだりしてしまいます。最近も小児ガンに関しての記事が載っていました。小児ガンは80パーセントのガンが治るようになったと書かれてあります。そうであれば、丸山ワクチンを選択する機会はますます遠のくことだろうと感じます。丸山ワクチンによる奇跡の症例はまさに奇跡であると、丸山ワクチンでの治療を選択した私でも感じるところです。しかし、残りの20パーセントの方々のことが思い浮かびます。なぜ、治らなかったのだろうか、厳しい副作用のある治療に体力がついていかなかったのだろうか、それとも、ガンが耐性をつけて増大したのだろうか。 私事ですが、耳鳴りを感じなくなったと言ったとたんに、再び耳鳴りが感じられます。ガンはやはり手ごわい。