治りたくないの?

ガンの宣告を受けたのは4年半ほど前のこと。上咽頭ガンは手術が不可の部位で、抗がん剤放射線を併用する治療法だけしか存在しません。(とその時は思っていました) 患者が望んでも、抗がん剤だけ、もしくは放射線だけ、という選択肢は受け入れてもらえません。手術という選択肢があれば、放射線だけを先におこなう希望は受け入れてもらえるかも、その結果をみてから手術を行うかの判断ができるから。その唯一の治療法を受けても、5年生存率が60パーセントだとの説明を受けたあとに、治療を受けるかどうかを尋ねられたので、感じたことをそのままに、治療は受けたくないと答えました。そのときの医師の表情が忘れられません。すべてを知っているような表情、最初はみんなそう言うんだけどねと・・・。じゃ、次回は奥さんを連れてきてください。といわれて、その通りにかあちゃんを連れて行くと、同じように、治療を受けても5年生きる確率は60パーセントほどだけども、治療を受けなければ、もっと短いスパンで取り返しのつかない状態になる、と説明を繰り返してくれます。じっと話に聞き入るかあちゃん。そばで聞いているガン患者本人も、ここは取り乱して涙を流す場面ではないだろかと、まったくそんな様子はありません。この時点で体に自覚症状のようなものはまったくなかったので、5年以内に死ぬという実感もありません。きっと、かあちゃんも同じような気持ちだったに違いありません。かなり無理をした解釈ですが・・・つまり、治療を受けなかったのはかあちゃんのせいではなく、自分の判断です。医者から見離されました。


その後、ホウ素中性子捕捉療法の治験対象(費用はタダ)になるかどうか、ある病院の脳外科の診察を受けに出かけたところ、ボクが患者だったら、重粒子線治療を選択するといわれました。保険外治療、300万円ほど掛かりますが、なるほど、その手もあったかもしれません。現在の血管内治療に関しても、もっと早い段階で相談に出かけておれば、という気もいたします。それほど丸山ワクチンに期待していたのだろうか、今でも考えます。医師からは「死ぬつもりですか」「治したくはないのか」とも言われましたが、治りたいのに決まっているだろうが・・・と心の中で言い返しました。


人類の歴史のうえで、抗がん剤治療、そして放射線治療が行われるようになったのは、ほんの一瞬のことにすぎません。永遠の生命を得ることはだれも出来ません。明治時代以前の人間もガンになって死んでいっています。必ず助かるという確証がない治療法を選択しなかったことが、非難を受けるに価することでしょうか。どんな治療法であっても、自分が信じていれば、それが正しい治療法です。もちろん、自分以外の家族や他人に勧めてはいけません。健康であることが普通だと感じるから、病んでいる人が落ちていく人、かわいそうな人と感じてしまうのではないでしょうか。病んでいることが普通であると思っている人間からみると、健康な人は単にラッキーなだけ。ガンを患って身についた降りていく考え方。「なんのために生きるつもりですか」 「なんのために治りたいのですか」常に自分に問いたいものです。