丸山ワクチンとアンパンマン

アンパンマンの生みの親 やなせたかしさんの奥様、のぶ夫人が胸に異物感と痛みを感じると言い出したのは1988年(昭和63年)のことでした。東京女子医大病院で診察を受けたところ、乳がんとの診断、即日に手術が行われました。それは2つの乳房ともに切除するという過酷なもの。その手術後に担当の医師が、勤めて平静な口調で夫であるやなせさんに告げました。「お気の毒ですが、奥様の生命は長くてあと3ヶ月です。ガンが全身に転移しています。すでに、ガンは第4期の終わりで、肝臓にもびっしりと転移しており、手の施しようがありません」 病院に行くたびに、夫人の体がちいさくなるように感じられた。病気のことはだれにも言わないでおこう。そう決心したやなせさんです。ある漫画家協会での会議からの帰りがけに、背後から誰かが追いかけてきました。漫画家の里中満智子さんでした。「やなせ先生、なにかあったんですね。会議の席でぼぉっとされていたもの。もし、よかったら私に話してみて」彼女の言葉が身にしみたそうです。女性のカンは鋭い。やなせさんはすべてを正直にうちあけてしまいました。すると「実は・・・私も子宮ガンだったの」そのあと、彼女はこう続けたのです。「私は手術をするのがいやだったんです。子宮を摘出すると子供が生めなくなるので、それで手術をせずにガンを治す方法はないかと考えて、さまざまなことを試したんです」 しいたけの汁やサルノコシカケ、野菜だけを食べる食事療法・・・そして丸山ワクチン。それから5年前に検査を受けたところ、完治していると言われたようです。それを聞いて、やなせさんは出来る限りのことをしようと決心し、さっそく丸山ワクチンを入手しようと考えました。すると主治医の先生は「あれは水だから、全然効果がありませんよ」とそっけない返事です。それでも「なんとかお願いします」と頼み込んで証明書をかいてもらい、ようやく丸山ワクチンを入手しました。それをまた主治医のところに持っていって「このワクチンを注射してください」と頼みました。「いやぁ、もう完全に手遅れですから、気休めにすぎませんが、そんなに言われるのなら、おっしゃるとおりにしましょう」しぶしぶ打ってくれました。するとどうでしょう。入院から一ヶ月が経って、夫人は歩けるようになりました。そして、歩いて退院することが叶いました。退院後は、あちこちを走りまわって、ワクチンの投与を引き受けてもらえる近所のお医者さんを探しだしました。1989年(平成元年)3月3日、医師から宣告を受けた余命3ヶ月をクリアしました。そして、驚くべきことが起きたのです。日がたつにつれて、夫人の血色がよくなり、だんだん太ってきたのです。奇跡というものはあるものなんだとやなせさんはうれしくなりました。



佳境にさしかかったところで、話は次回にまわします。ここのところのブログの内容が、個人的に体調を記したものが、表題とまったく違うように感じとられたことでしょう。でもこんな例もあるのです。


追記 あさっての日曜日には郭林気功宝塚の講習会が開かれます。残念ながら今回も体調上ではなく仕事上の都合で出かけることが出来ません。まことに申し訳ありません。ガン患者を支える活動に頭がさがります。  → 講習会情報