供花、香典のたぐいはいっさい固辞し

丸山が人型結核菌をもとにワクチンを精製したのが第二次大戦のさなかの1944年(昭和19年)。これが結核患者だけでなく、ハンセン病患者の治療にも効果をあげた。ガン患者に使い始めたのが、昭和39年頃から。副作用のまったくないガン治療剤で、しかも著しい効能があるとマスコミが喧伝するようになった。しかし、医学会は「ただの水」としてとりあわなかった。


平成3年6月の丸山ワクチン濃厚液が放射線副作用の抑制剤として認可されることが決まった日も丸山は意識がはっきりしていた。もっとも、ちっともうれしそうな顔をみせない。むしろ不機嫌でさえあった。しかし、「これで丸山ワクチン認可の階段を一歩上がりましたね」とか「ただの水でないことが証明されてよかったですね」と喜んでくれる人に対して、なお仏頂面をしているような頑固者ではなかった。


ひたすらガン治療剤一本で意思を貫いてきた丸山にとって、ゼリア新薬抗悪性腫瘍剤として申請する道から一歩退き、白血球減少抑制剤への方向転換を図ることは、これは容認できない「裏切り」である。「ゼリアさんは、白血球減少抑制剤の道を進めておられるそうですね」「ええ、その件なんですが・・・」「丸山先生はガンの治療剤として丸山ワクチンの許可を取るように、ゼリアさんにお願いしたのでしょう?どうしてそのための努力を続けないんですか」「現状では抗がん剤として許可を得る見通しが立たないのです。ここはひとまず、白血球減少抑制剤として申請をいたしましてですね・・・」「放射線の副作用で困っている患者にとっては、それは意味があるでしょう。しかし、ガンの患者はどうなるのです。いま現在も、丸山ワクチンを命の綱としているガン患者が何万といるのです。その人たちが使えないのでは、意味がないじゃありませんか?」「ともかく、私は1500人の社員とその家族を抱える企業の経営者として、抗がん剤の認可にこだわることで彼らを路頭に迷わせるようなことはできないのです。丸山先生にも、そこのところをどうかお含みおき下さり、ご決断下さるようにお願いいたします」濃厚液の認可によって、それまでの変則的な有償治験が終止符をうつことになれば、患者は見捨てられる。「厚生省との話し合いがつけば当社は製造を続けます」 


丸山千里博士が亡くなられたのは平成4年3月。告別式は3月13日、護国寺桂昌殿で無宗教により行なわれた。供花、香典のたぐいはいっさい固辞し、白い小菊で埋もれた壇上に白髪の丸山の遺影が置かれただけの美しくも清楚な祭壇。会場にはモーツアルトのレクイエムが流れていた。ともかく、仰々しいのがきらいで、義理で人が集まるような形を好まなかった。


井口民樹著「愚徹のひと 丸山千里」より