あくまで丸山ワクチンに期待する

丸山ワクチンはさまざまな難治病に効くうえ、副作用がなく使い方も簡単であるが、一つ泣き所がある。昭和30年前後、ピエロのように鼻が大きくなる赤鼻の女性の患者が、福島県郡山から治療のため週に一度の通院をはじめた。一ヶ月を過ぎても病状に変化はなく、先生は患者に「お酒を呑みますか」と訊ねた。下戸(げこ)の先生は、女性の飲酒を考えてもみなかった。患者の返事は、「寝酒を飲みます。なにぶんにも郡山は寒いところですから」との返事だった。そこでワクチンを使っている間は、酒を断った。効果てきめん。一ヶ月後、赤鼻は消失した。ワクチン使用中の飲酒は、厳に慎まねばならぬ。 丸山ワクチン騒動が頂点に達した時、随筆家の山本夏彦は「丸山は有徳の君子人である」と称え、作家の今東光は「ここに人あり」と評した。患者諸兄に告ぐ、君子の薬とつき合はば酒な呑みそ。


これは伊藤善重さんという人が書いた文章の一部。伊藤さんは小松製作所に勤めていたころに丸山千里博士と知り合うことになった。そのきっかけは、その当時の小松製作所の会長、河井良成さんにある。会長のご親戚の夫人が結腸がんで余命2〜3週間という状態にあり大変に苦しんでおられたさいに、丸山ワクチンのことを聞き及び、試してみたところ苦痛が和らぎ、安眠できるようになった。さらにガンがだんだん縮小しいって、3ヶ月後には退院の運びとなったのである。それを喜んだ河井さんはそれから丸山ワクチンの最大の支援者となった。伊藤善重さんは連絡係として、そして、研究の手伝いをするうちにすっかり丸山ワクチンのとりことなっていった。


伊藤善重経歴
昭和13年1月6日、愛知県に生れる。父は曹洞宗周昌院住職、伊藤義孝。日本大学理工学部電気工学科卒。小松製作所コマツ)入社。その後、小松製作所を退職した後は、自然治癒力や生命情報の研究に熱中。昭和58年、豊川市牧野町に周昌院事務所を開設した。曹洞宗、睡鷺寺住職。平成21年7月23日、永眠


それまで元気だったのに、朝の散歩に出かけた際に急に心臓にトラブルが発生、帰らぬ人となったとのこと。私がガンの宣告を受けたちょうど1年後のこと。幸せな人生の終え方。いや、むしろガンや難病であったほうが本人にとってはよかったのかも、もっと注目を浴びていたかも、なぜなら、周昌院事務所は薬石治療などによって難病患者に対応する施設で、今は閉鎖されていますが、当時は大勢の患者がつめかけていたようです。そんなことをなぜ知っているかといえば、豊川市にある周昌院事務所の管理をまかされている女性に話を伺いに半年ほど前に出かけたことがあるからです。ついでにといえば語弊ですが、近くにある豊川稲荷にも祈願してまいりました。というわけで、鼻がつまって寝苦しい夜を過ごすことが多くなった今、晩酌を止める決心をした次第です。晩酌を止めてほぼ2週間が過ぎ、丸山ワクチンを皮下ではなく、皮内に打つようになって1週間が過ぎました。1ヶ月ほどが経って、なにかしら変化があることを期待する毎日です。考えが甘いこと重々承知。