どんなときでも平気で生きること

柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺。明治時代の俳人正岡子規は21歳で肺結核にかかり、29歳で脊椎カリエスから、34歳で亡くなるまでの最後の3年ほどは寝たきり状態だった。それでも死の2日前まで新聞にコラムの連載をつづけており、あるとき、悟りについての記事を載せた。「今まで禅宗の悟りという言葉を誤解していた。悟りとはどんな場合でも平気で死ねることだと思っていたけど、そうではなくて、どんなときでも平気で生きることだ」


かつて結核は恐ろしい死の病だった。多くの医師がこの難病を克服する為に立ちあがった。丸山千里博士もそのうちのひとり。1944年、人型結核菌抽出物質による結核ワクチン(丸山ワクチン)の研究を始める。その時代にはすでにBCGワクチンというウシ型結核菌を利用したワクチンが世界的に認知されつつあったのに。さらにストレプトマイシンという特効薬が登場してきたのに。丸山博士は研究を止めず、研究を進めるうち、このワクチンが癌に対しても有効である可能性を見出して1964年から実際の癌治療に対し、このワクチンを試用し始めた。


丸山ワクチンが否定されるほど、現在のガンが克復されるようになったのだろうか。治療法が確立されたのだろうか。ストレプトマイシンのような特効薬はできたのだろうか。丸山ワクチンで様子を見たいといったところ、医師から「死ぬつもりですか」と言われたことが耳に残ります。5年生存率が60%しかない過酷な治療法を薦める医師。でも、その言葉は忘れなければ、どんなときでも平気で生きる為に、悟りを得るために。最近、体調が良くなったことで再び強気の論調に。われながら単純な人間だ。


同じ丸山ワクチンを続けている方からメッセージが届きました。余命3ヶ月の宣告を受けてからほぼ1年が過ぎようとしているようです。→ 「明日できることは今日やらない」 なっとく〜