余命1ヶ月の花嫁

先日、余命1ヶ月の花嫁という題の本を読みました。映画にもなったようですがまだ見ていません。実話とのことですので、リアルのガン患者が見るとあまりに悲しすぎると思ったのです。24歳で余命1ヶ月と宣告を受けた若い女性の話です。本には本人の写真も添付されています。新車発表会などのイベント・コンパニオンの仕事をしていたという可愛いらしい女性。衝撃的なガンの宣告を受け、国立ガンセンターの医師の薦めを素直に聞いて、抗がん剤、切除手術、その後に放射線治療のフルコースの治療を受け、その結果、自宅療養を勧められた。自宅療養というのは、もう打つ手がありませんという宣告。医師からは余命1か月と宣告を受け、大体、その通りに亡くなられた。ウエディングドレスを着るのが夢だったという・・・生きているうちに。

人はなにかしら使命をおびてこの世に生まれてきたはず。24歳で死を迎えるのはなぜだろうか。私の場合であれば、60歳をすぎてガンの宣告を受け、その意味を悟ったように感じたりしたけど、これが24歳の時であればどう考えだろうか。神のことばに耳を貸さずに主治医のいうことを素直に聞いていたかもしれない。ベルトコンベアに載せられていきつく先が、再生不能のボックスだったとは。彼女はテレビ局に電話をしてドキュメンタリー番組にみずから出演を希望した。本を読み返すと、本人の意思と本を書いた人の作為がすこしずれていることを感じます。もっとも、本人の希望どおりに結婚式が執り行われたことに異論があるわけではありません。

この本の印税の一部はピンクリボン活動に寄付されるとのこと、早期検査、早期発見で不幸な人が少なくなるのだろうか、対ガンのシンボルになること、それが本人の希望だったのだろうか。健常者とガン患者の意識の違いをかんじたりします。痛みがあっても、モルヒネ系の鎮痛剤を使うのを、じっと我慢したという。鎮痛剤を使うということは、死を受け入れることと同意語、どこまでいっても奇跡が起きる気持ちを持ち続けたいという患者の気持ちが同病のものとしては痛いほど伝わってきました。きっと彼女は最後の瞬間まで生きる希望を失いたくなかったはず。エビデンス。自宅療養という宣告のときに、なぜ、代替治療を・・・丸ワクを、という気持ちがします。今度はビデオを借りてきて、その感想を記したいと思います。