こんなはずじゃなかったー乳がんの絵門ゆうこさんのケース

つらい、かなしい、むなしい。ガン患者の体験談を読むと、いつもそんな気持ちにさせられます。ガンの治療で延命を期待できるけど、寿命に逆らうことはできません。「私のガンは治った」・・・こんなふうにはっきり書いてあるのは、胡散臭い代替治療の宣伝本にしかありません。だから、ガン患者が書いた体験談はあまり読みたいと気がおきません。それでも、元NHKアナウンサーだったという絵門ゆうこさんの「がんと一緒にゆっくりとーあらゆる療法をさまよって」という本を読んだ。その理由は、あらゆる療法をさまよって・・・というところに惹かれたからです。落胆から始まり、希望を感じさせる内容で終っていましたが、ネットで調べるとすでに亡くなられていました。享年50歳。


平成13年12月、階段を一段上がるたびに息があがり、座っていても息苦しい(肺水腫を併発)、頸の後ろには激痛(頚椎がもろくなって骨折)が走る。こんなぼろぼろの状態になって東京の築地にある聖路加病院に駆け込んだ。「こんなはずじゃなかった」という気持ちがしたという。というのも、この日から1年2ヶ月前に他の病院で乳がんの告知を受けていたからだった。当初から転移もある状態、乳房の温存は無理という状況。そして、通常の治療を拒否し、代替治療に向った。治療を断わって、ガンが全身に転移し、耐え切れない痛みのために、再び病院に出かける時の心中は共感できるところ。「今頃になって、なんで来たの?」もし、そんなふうに医師から話しかけられたら、生きる気力もまったく無くなるだろう。骨転移になれば激痛になる。モルヒネが万能というわけではない。私も鎮痛目的で放射線治療を選択する(たとえば骨転移とか)とか追い込まれるかもしれない。生きるためを差し置いて、痛みをとるためだけに。


自分で治療を拒否して、身体のあちこちにガンを転移させていたのだから気の毒と思えない。健康な人からみればそう思われるだろうか。絵門さんが標準治療を断わった理由の一つに、10年前に母親が子宮ガンで亡くなったこともあるという。まったく自覚症状がない時に人間ドックで初期の子宮ガンが判り、以降5年間で3度の入院、手術や抗がん剤の治療を素直に受けてきたが、2度目の再発が認められたときには治療を断わったという。半年間は自宅で普通に暮らした。その後、病院で「元気になる注射」という抗がん剤を打ったときから再び状態が急変し、亡くなられたとのこと。「病院にさえいかなければ、こんなことにならなかったとしか思えないのよ」というのが母親の最後のことばだったという。


今日、痰から鮮血が認められた。やばい。ガンは徐々に進行しているのは間違いない。次は絵門さんが受けた代替治療について。あらゆる治療には丸山ワクチンは含まれていなかった。ちょっと安心。