疑う力、信じる力

昨日は突然に耳鳴りがひどくなったように思えた。真夜中に目が覚めた。そのまま眠れなくなった。とうとうそのときがやってきたのかとそえ思ってしまった。鼻の通りはそれほどでもないのに、耳の聞こえも悪くないのに、内部のほうへ大きくなってきたのだろうか。この先、どう対処していくことになるのだろうかを考えてしまった。他人のことより自分中心の考え方になることだろう。死んだ後の段取りなんかどうでもよい、家族に当たり散らかして、無理難題を言って家族から反発をくらうことになるだろうか。ガンが末期になった患者は、性格が一変するという、以前読んだ看護婦さんが書いた本に載っていた。そろそろエンディングノートを作っておかなければならない。一日経って十分睡眠をとったところ、耳鳴りはちょっとよくなった。


逆の立場にいる人によって書かれた文章を読んだ。初めて診察を受けたときにすでに医師から末期ガンの宣告を受けた父親をもつ息子さんの話。その父親は私と同じく無神論者だったという。それは、祖父母がある宗教の熱心な信者であって、それは、不幸な事件をキッカケにして、その宗教にのめりこんだものであったのだが、財産こそとられなかったけど、いろいろと面倒な目にあったことから無神論者になったとのこと。末期がんで床に臥しながらも、「線香くさい葬式はするな」と力説し、天国とかあの世とかの話は一切しなかったという。自分の余命かあと数ヶ月という状態にあれば、神様にすがりついてもよかったのではないかと息子は思ったという。モルヒネのパッチを張り、全身の痛みに耐えながら延命する様子をそばから見ている息子とすれば、複雑な気持ちがおきるのも当然かもしれません。


その後、父親が入院している病院に出かけた時のこと、あるボランティアが病院のロビーで演奏活動をしているときのこと、おだやかな笑みを浮かべながら、本当に楽しそうにしている父親を見ているうちに、自分のなかで抑えていた感情がいきなり溢れ出して、いたたまれなくなって、その場から飛び出したという。涙が体の奥から湧き出して止まらなかったという。おやじ、ごめん、心のなかで呟いたという。 


ガンは完治する。そんな方便を信じているような態度で精一杯に息子も努力をしてきたという。でも、父親が亡くなったときに振り返ってみると、もっと別の接し方があったようにも思えるという。死にゆく病人を鼓舞するのはつらかった。辛い治療を躊躇する父親を励まし続けることが自分の役割だったことに疑問を感じたという。もっと違う接し方があったのではないか。ガン治療に詳しくなるためだけに時間を使うのではなく、その時間を父親の人生を理解する為や考え方を吸収するために使えたかもしれないということ。そんなことを思うと、今でも胸が痛むとある。飢餓難民のようにやせ細った父の亡骸を見ながら、後悔の念に駆られたのを鮮明に覚えていると書かれてある。 


我が息子にも、そう思えてもらえる日が来るのだろうか。それとも、標準の治療を断わるなんて、馬鹿なオヤジと思われるままになるのだろうか。お互いに医療を仕事にしているから、なおさらのことだ。ちょっとこれもエンディングノートに書いておこう。