元厚生大臣の河合さんとの出会い

初期の治療患者のなかに、河合良成氏(元小松製作所会長)のご親戚にあたる老婦人Oさんがいた。1965年の8月頃、結腸ガンで、お腹にひとりでに穴があき、そこから便がでてくるほどに重症だった。医師はついに、あと2〜3週間の生命だと宣告した。ガンの末期だから患者はたいへんな苦しみようである。そんなとき、河合さんがどこからか私のワクチン研究のことを耳にされたらしい。3男の三良氏を使者に立てて、私のもとワクチンをもらえないかとやって来られた。

このワクチンが効いたのである。患者の苦痛が取り除かれた。まわりの人たちも安眠できるようになった。ガンがだんだん縮小してきて、便がでていたお腹の穴がふさがってきた。それはおどろくほどの著しい効果で、それを聞いたときには私もにわかに信じられないほどだった。

あと2〜3ヶ月の生命といわれていた患者は、3ヶ月後に退院の運びとなったのである。河合さんから感謝の電話をいただいた。「ワクチン療法について、いろいろお話もうかがいたいので、これから研究室にお邪魔したい。よろしいですか」河合さんは昔、厚生大臣までやられた方である。その後、スライドを用いて丸山ワクチンに関する説明を行なったのである。

「あなた、その研究を発表なさったらどうです」
「とんでもないです」「研究といっても、まだ手をつけたばかり、とても発表できるだんかいではありません」
河合さんは私の性分をすっかり見抜かれていたようである。
「学者のあなたはデータをそろえないと気がすまんでしょうが、その間にも、何千、何万人という患者がガンで苦しんでいるんですよ。患者だけじゃない。その家族の苦しみも大変なものだ。げんに私どもは、あなたのワクチンのおかげで救われたんです。いま苦しんでいる人たちを救うことが、さしあたっての問題じゃないでしょうか。一歩手前でもいいしゃないでか。すぐにでも発表すべきだと思うね」それでも躊躇する私に対して
「あなたはまだお若いですな」「私など財界、政界で、やりたいことは全部すべてやってきました。もう世間の毀誉褒貶には超然としている。そういう心境にならないとだめですよ」そう口説くのである。私も頑固である。いま、うっかり、はい、と言ってしまうと取り返しのつかないことになるかもしれないという気持ちがあった。


次回の予定は「丸山ワクチン」の73ページから。暖かくなって、節々の痛みなどという点で体調がよくなってきた。このままずっと長く生きられそうに感じたりもする。自分の発する声がこもるように聞こえること、左耳の内側に圧迫感があることには変わりはない。悪くなっているという感覚は無いが、良化しているという印象もない。