無宗教葬が望み

神社、仏閣にでかければ自然と手を合わせる。神様や仏様には信心があると思っている。しかし、自分の葬式は無宗教で執り行ってほしいと願う。教会にでかけても同様の態度をとるので仏教の信者ではないことは確かなこと。家にも仏壇がない。


世界の3大宗教というのがキリスト教イスラム教ともうひとつが仏教という定説は怪しいらしい。この地球上のうち約20億人がキリスト教徒で地球上の総人口の32%ほどになる。その次はイスラム教徒の12億人(20%)で、仏教徒は3.7億人(6%)だそうだ。3番目に多いのはヒンズー教徒で8億人、その後に中国の儒教道教が4億人と続く。人口が13億人以上の中国での儒教道教の実数はもっと多いかもしれないという。


読経に何十万円、戒名に何万円とお布施が実質的に強要される日本のシステム。これが仏教に不信感をいだいている大きな理由でもある。なぜ宗派に勝手に属しているのかも理解できない。葬儀に高額のお布施が一般的になったのは、最近のことだという。もともとは寺院が葬式を執り行うというシステムすら存在しなかった。寺領という経済的基盤を有していたのでお布施に頼る必要がなかった。それを農地に貸出したり、みずから耕してそれを食い扶持にしていた。明治の土地改革により、貸し出している小作地を取り上げられたことからお寺さんはお布施に依存するようになったという。


みずからのときに仏式葬儀は行ないたくないが、人の葬儀には積極的に出かけているという矛盾も感じる。ガンを宣告されたときから、自然と見栄や外聞は捨て去るようになった。 最後の儀式を執り行う者に願うのは、死者への思いを祭壇のランクで表現してもらいたくないということ。ところが、この無宗教葬で葬儀を執り行うというがやっかいなことのようである。先例が極めて少ない、定まったマニュアルがないからだという。最近は目覚めが早くなった。