映画「おとうと」

舞台は東京。弟役に笑福亭鶴瓶、主人公は吉永小百合が演じるその姉。町の薬局を経営している姉は医者であった夫を亡くし、年頃の娘と義母との3人で暮らしていた。娘が血筋の良い医者と結婚することになり、そこに呼んでもいないのに主人公の弟である娘からすれば、おじさんが結婚式に駆けつけてきた。案の定、酒を飲んだおじさんが結婚式を台無しにするといった内容から物語が始まる。なぜ、おじさんが結婚式に呼ばれなかったか、それにはその理由があった。


好きなように生きてきて、その結果、面倒ばかりをかける弟にその姉が振り回されるというストーリー。結婚式の後、しばらく音沙汰がないところへ大阪から連絡がはいる。末期がんになって、民間のボランテァア団体が運営するホスピスに入院しているという知らせだった。姉はすぐさま駆けつける。ベットに横たわる弟の腹には胃管が設置されていた。笑いのなかに涙も落ちる。この映画、ガン患者にとって必見の映画だったようだ。周囲の人からの暖かい看病もつかの間、ついに弟は亡くなる。姉の家族が再び、普段どおりの日常をとりもどすというところが映画のエンディング。どんな人であっても死は悲しい、世の中はむないしことだらけ。でも、生きている限り、それを乗り越えていかなければならない。そんなことを感じさせてくれた。


実際のがん患者の場合ではこのように進行しないとも感じる。胃管が設置された時点で、枯れるように死に至るというストーリーは望めない。死が避けられないとわかっているのであれば胃管のような延命処置は断わるの患者側からの大多数の考え方だと思う。だが、実際にはそうならない。胃管を設置しなければ病院から退院して自宅で、もしくはホスピスで最後の時を過ごす許可が下りない。かといって、胃管を設置せずに入院したままであれば、費用面でも、看護面でも、周囲の人に負担や面倒を余分にかけることになる。そして、胃管で栄養が流されれば、そうそう簡単には天国へも行かしてもくれない。ガン患者の悩みは深い。