一生に一度限りのセレモニー


年老いた母親のとなりに私の弟がいた。その弟が突然に激怒した。だれにでも死が訪れるということ、その時のために準備が必要なこと、そのときに請求される葬儀費用の内容がきわめて不透明なこと、そして、大阪には葬儀費用研究会というNPOがあるということを話しただけなのに・・・なぜ? 母親は息子のガンをまだ知らない。

年老いた親がいるといっても、元気にしているのに葬儀に関する話題を持ちだすのは縁起でもないということか? 葬儀費用に関する話題、それが金額をケチっているという意味にとられた。大事なセレモニーに金銭感覚を持ち込むことに不愉快を感じたということか? それとも、だれにでもいずれ死はおとずれるなどと悟ったようなことばが気に入らなかったのだろうか? 

極楽浄土。死後の世界は楽しいところと考えれば、死は悲しいことばかりではないのではと思う。まだまだ遣り残したことがある、まだ死にたくないと考える人こそ、葬儀に対して間違った考えかたをもっているのではとも思う。放下著。生まれ変わってこそ人類は進化を遂げる。お年寄りは次の世代に席を譲らなければならないとは最近感じてきたことだ。生死事大。宗教に関心がないわけではない。すがりたい気持ちで日々、書物をあさっている。

つい先日は医師から激怒され、今度は身内からも激怒を受けた。両者ともに私がガン患者であることは知っているにもかかわらず。 弱々しいガン患者としてのオーラが出ていなかったのだろうか? 死者に敬意を払うことも大事だが、それなら死ぬ前の段階にいるものにもなおさら敬意をはらってもらいたいものだ。如是我聞。


喉の奥にしこりを感じる日、丸山ワクチンを毎日続けたくなった。喝っつ。



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