人生の選択はだれが決める?

ブログを移行する際にハンドルネームを何にしょうかと考え、最終的にサンフラワーにした。ひまわりは真夏に咲く情熱の花というのが一般的なイメージだが、個人的には悲しくせつないとの印象がある。日の出のときから一日中、太陽の方角に顔を向け続ける。次の日も、その次の日も同じ繰り返し、そうしていつの日かにその活動を停止する。


とおい昔に見た映画は「ひまわり」。ソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニが演じる。第二次世界大戦の状況下、イタリアからロシアへ向かった兵士が、戦争が終結したのにかかわらず帰ってこない。ソフィア・ローレンが妻を演じる。夫は戦死したのだろうか、いや必ず生きているとそう信じていた。でも、いくら待っていても帰ってこない。しばらくして妻はロシアに夫の消息を探る旅にでかける。旅の途中、列車の窓からはウクライナの大平原に見渡す限りのひまわりの畑。列車が進むにつれても地平線のかなたまで、ずっとずっと、ひまわり畑が続いている。単純でも迫力のある映像が記憶に残っている。


探すうちにほどなく夫は見つかった。戦争で生死をさまよう大怪我を負い、それを必死に看病してくれた女性がいて、その女性と幸せに暮らしていたのだった。安堵の気持ちと、怒りと悲しみの気持ちが妻の心のなかに混ざり合っていた。妻は静かに帰っていく。その後のストーリーは定かではないが、ハッピーエンドでなかったのは間違いない。


ひとは人生を自分で選択しているようにみえて、実はそう仕向けられているに過ぎないのではないだろうか。今の科学で考えれば、遺伝子情報として組み込まれているということになる。万物の創造主から組み込まれている仕組みを、判らずに自分の判断だと考えて人生を選択しているだけかもしれない。抗がん剤での治療を断わったことも、丸山ワクチンを選択したことも、自分自身の選択ではなかったのかもしれない。決断してから2年4ヶ月目が過ぎていった。考えれば、ガンを患ったことも、私にとっての必然だったのかもしれない。 「ばかげた選択をしたものだ」 医師からそう言われたとしても仕方がない。常に太陽に顔を向けて毎日を過ごすだけのサンフラワーもいつかは終わりの時がくる。悔いの残らない今日一日を生きるだけ。