症例・胃ガンにすい臓ガン

樋川ともえさん(73歳・東京都練馬区南田中) 私がガンに襲われたのは、4年前の昭和47年の夏でした。それまではいたって元気で病気ひとつしたことがありません。34歳で戦争未亡人になって、ひとりで6人の子供を育てました。子供が成人したあと、茨城の田舎に住み、野菜や果物を作ってひとりで生活していました。69歳の夏、チョコレート色のものを吐き、あわてて医者に行きました。それからも食欲がない状態が続き、たびたび吐き気に襲われ、黒い液をもどしつづけます。そして、東京の病院、中村橋の東海病院に入院しました。「たぶん胃ガンです。ただ、切ってみないと、はっきりした事はいえません」入院してすぐに、娘は医師からいわれたそうです。肉体的にも精神的にも、疲れきったのは娘のほうで、一ヶ月で10キロもやせたそうです。入院して15日目に手術するも「これはもう、手のほどこしようがありません」なにもせずに切り口を閉じてしまいました。私は胃潰瘍で悪いところをとったと聞かされていました。痛みはいっこうに良くなりません。「あの体では、あと1日か2日、長くて10日持てばいいほうでしょう」との宣告、あわてて葬式の準備をしたり、ただ、楽に死なせたいという状態だったようです。けれども、私は手術をしたのだから、もう治ると思っていました。家で死なせてあげたいという周囲の思いから、8月の半ばにひとまず退院しました。

もちろん何も食べれません。痛みははげしくなるばかりです。42キロあった体重が10キロ近くも減って、髪もまっしろになっていました。家族は御札やお水をもらいに神社まわりをしてくれたそうです。最後にはとうとう、楽に死ねるおまじないまでしてもらったといいます。そんなある日、医学生だった私の甥が「いちど丸山ワクチンを打ってもらったら」と娘に言ったのです。お医者さんの承諾書が必要とのことで、娘はすぐに東海病院に走りました。2.3日待って書いてもらいました。それを娘はひどく感謝しています。9月1日に1本目の丸山ワクチンを打ちました。東海病院の先生がわざわざ往診してくれたのです。あれほど身体中が痛かったのが、次の日にはもうウソのように痛みがなくなりました。ところが2本目を打つと、こんどは血を吐きはじめました。それが少しも苦しくないのです。ともかく東海病院に再入院することになりました。3日3晩、血を吐き続けました。こんどこそ最後だとみんな思ったそうです。

3日目にピタリと血が止まりました。そして食欲がでてきました。先生も「不思議だなあ、不思議だなあ」というばかり、みるみるうちに太ってきました。それまで血が混じっていた黒い便が普通の色になり、1ヶ月目には、まったく変わらなくなりました。皮膚がぼろぼろはがれだしました。髪の毛が黒くなりだし、爪の伸びも速くなりました。「まるで電信柱に花が咲いたようだ」私が自分の病気をガンだと知らされたのは、丸山ワクチンを打ち出して1年もあとのことです。「胃ガンは完全になおりましたよ」お医者さんに言われました。ほんとうにウソのようなマコトです。私は本当に心の底から感謝しています。そして、この感謝を、私ひとりのものとしたくないのです。それで、近頃は週1回にしています。貴重なワクチンを年寄りの私が独占するよりも、若いこれからの命に使ってもらいたいとおもうからです。(丸山千里著「丸山ワクチンーがんを追いつめる」より)



丸山千里先生、自らが書かれた本には、奇跡だと思える体験談が数多く載せられてあります。その多くは実名で、住所も記され、しかも治療を受けていた病院名までも記されています。つまり日医大とその病院の双方にカルテが存在するということです。今からでもその気になれば検証できるということになります。でも、もっと重要なのは現在、これからのことです。今でも奇跡的な症例は存在しつづけているのでしょうか。サマージャンボの5億円が当るような確率であっても、症例が存在するのであれば、ぜひ公表してもらいたいと思います。5億円分以上の夢と希望が新たに誕生することでしょう。