丸山千里博士の葬儀に

愛知県津島市にある浄土宗西山禅林寺派大龍寺の住職である加賀善康も、できればその日、葬儀に主席したいと考えた一人だ。昭和51年9月、次男の新が小児ガンを発病した。「神経芽細胞腫」との確定診断である。名古屋大学病院で脊髄の切開手術受けたが、ガン細胞の侵食がひどく組織検査のための背骨を削り取ったままで閉じてしまった。その後、放射線のライナック照射と抗がん剤エンドキサンの治療を受けるとともに、丸山ワクチンを併用した。しかし病状はますます悪化するばかりだった。小児病棟に水疱瘡が流行したのがきっかけで自宅へ避難退院となり、放射線抗がん剤は中止、丸山ワクチン一本にしぼることにした。ホームドクターに週3回、丸山ワクチンを注射してもらったのである。52年5月、新は自力で立てるようになり、その年の暮れには近所を走り回って遊んでいる。検査の結果では骨髄液に転移していたガン細胞が良性のものに変化していた。大学病院の医師は自然治癒ではないかといった。以後、新は順調に成長し、丸山ワクチンの投与もやめた。ところが小学校5年になって左の足が動かなくなった。放射線治療の後遺症で運動神経の麻痺を招いていたのだった。加賀善康さんからの弔電が告別式で披露された。このとき新くんは高校2年生だった。(「愚徹のひとー丸山千里」より、ほぼ本文のまま)


放射線治療の後遺症ではなくて、手術の際に背骨を削り取ったことによる後遺症。削除された分、脊椎がだんだんと変形して神経を圧迫するようになった。現在でもこの後遺症は残っているという。しかし、ガンの再発はまったく心配していない。現在、30歳をすぎたご本人は東京で元気に暮らしておられるようだ。先日、大龍寺に出かけ、ご住職の奥様にお会いして、おおむね本の内容と同じ話をうかがうことができた。ご本人は病気のことに触れられたくないとのこと、ガンの治療、運動神経麻痺への治療は子供にとっても過酷なものだったことは想像に難くない。主治医はまちがいなく自然治癒だと断言したようだ。つまり、丸山ワクチンが治したのではなく、丸山ワクチンが身体の免疫力を高めた結果、ガンが消滅した。このように解釈できる。


どんなに追い込まれても、自然治癒が残されている。
信じることでがんばる力が生まれる。
あきらめる、その前に丸山ワクチン、正しい生活と・・・なみあむだぶつ。