今日の新聞の人生相談欄から・・・

夫の浮気が発覚しました。その夫は今、がんで死期が近づいています。この浮気されたことによる私の苦しみをどうすればよいのでしょうかという質問が今日のよみうりの人生案内に載せられていた。回答欄の心療内科医は次のように答えていた。死を意識した瞬間、人は一番大切なものは何かに気づきます。あなたが残りの日々を大切にしようとしたとき、夫にもその思いが伝わるはず。あなたの浮気、つらかったのよ、と素直に言ってごらんなさい。あなたの納得のいく答えがかえってくるはずですと。これは死んでいくひとの心情は無視して、これからも生きていく人へのアドバイス。死期が近づいたガン患者にとどめをさす一語だ。


そんなことを告げれば間違いなく、このガン患者は早く死に至る。どういう精神状態になるかは想像できるのから。多くの人は善人であると思っている。みずからの行為を後悔はしても、それは自業自得というものだと決め付けられるのはつらいことです。本人の心情はともかく、その状態で逝かれるのを見取る周囲のものはそれで満足することになるのだろか? 回答者は精神科の医師ではなくて、聖職者であってほしいと思う。どんな過ちを犯した人であっても、ゆるされて天国に行く、仏になるというのがすべての宗教の共通した教えである。やすらかにあの世にいってくれたことで、残されたものも心の平安を得ることにつながる。


しかし私にやましいところがあるというわけではない。とくに家族に対しては。だから私の葬式には坊さんを呼んでもらわなくとも結構だ。現世でまちがいはいっぱいしたけれど、許されなくとも良い、仏にならなくてもいい、そのかわり、ずっと千の風にのって現世をただよっていたい。