ガン患者としての思い

先日、知人が突然に事故死しました。そして、そのことが世間話になり、じつは、事故死する前にガンを患っていて、抗がん剤治療を行っていたのだという、余命も1年ぐらいの宣告を受けていたというのが話の内容。生きているうちに本人から聞いたことがありません。かわいそうに孤独だったんだね。病気に関する世間話はよくするものですが、なぜかガンの場合だけは秘密にする傾向があるようです。私も同じこと。それはなぜかと考えれば、優しさ ということに尽きます。自分がガンだと告げられた相手は、どう反応すれば良いのか困ってしまうことでしょう。もっとも、乳がん前立腺ガンのように治癒率が高いものでは違うかもしれませんが・・・


最近の新刊書にガンと喫煙の関連について書かれてある本が目につきました。著者の欄をみると、案の定、ガンセンターの長と名前のつく医師が書いた本でした。なぜ、ガン専門の医師が喫煙についての本を出したがるのでしょうか。循環器、あるいは生活習慣病を診る内科医が書いているのであれば納得がいきます。それは、喫煙によって不幸な結末に至ったガン患者を診ている、診ていたからに違いありません。が・・・ガン患者がこの本を読んでどう感じるかとは思わなかったのだろうか。喫煙者のガン患者は、みずからの喫煙という生活習慣に後悔し、ガンになったことで自らを責めることでしょう。一方、非喫煙者のガン患者(このほうが多いのと思われます)は、自分がガンになったのは受動喫煙のせいだと怒りがにえたぎります。どちらにしても、ストレスになって、ガンにとっては良くないことは確かなこと。つまり、この本は、ガンを患っていない健常者のために書かれた本といえます。


治療を行っても、思い通りに治っていかないことが多いガンという病気。その責任の矛先を別のところに誘導しているような気がします。ガン患者がこの本を読んでどう感じるのかは著者にとってはどうでもよいことか。 治療を行うことで医師は収入を得る。患者が増えれば病気が長引けば病院の収益も増える。いつも感じるパラドックス。一般の社会と逆の社会構造があります。つまり、この本に書かれてあることからは、儲けたくはないのに、勝手に人々はタバコを吸ってガンになり儲けさせてくれる。私たち医師は、利益を求めているのではない、あなたたち国民の健康を心から願っているのだ、そう主張しているように感じるのです。まったくの上から目線、おせっかい、優しさがちっとも感じられないのです。ちなみに私は非喫煙者です。